梅田なみ|わすれもの
悲しいときは泣けばいい
恋人が心変わりしたら
「行かないで」とすがりつけばいい
「あなたなんて いなくても大丈夫」みたいな顔を
しなくてもいい
あなたの大切な人が死んだら
気丈に振る舞わなくていい
カラカラに乾くまで
涙を流しきればいい
涙は綿毛のように胸の底をくすぐって
くしゃみのように
感情を吐き出させてくれるから
戦争で愛する人が死んだとき
「お国のため」と崇められ
泣けなかった女は
悲しみを土間に置いて
家族のために火を起こした
置き去りにされたそれは埃のように土間の隅にころがっていき
そのうち見えなくなった
流行り病で人がバタバタ死んだとき
宇宙飛行士のような格好で働いた若者は
悲しむことを忘れた
そして
ゴーグル越しのぼんやりとした視界の中
中身の見えない銀色の
納体袋のチャックを無造作に上げた
悲しいときは泣けばいい
悲しいときに泣かないと
心の中に澱ができる
それはべったりと底の方に貼り付いて
そのうち溶けない塊になる
仕事を終え 宇宙服を脱いだ若者は
ふと聞こえてきたピアノの音に誘われ 店のドアを開ける
喧騒と グラスの触れ合う音の間から聞こえるリズム
遠い昔、悲しみと抑圧から生み出された12小節の音色が
若者の胸の底の塊をそっと揺らして溶かす
ふいに若者は両手で顔を覆い 震えを帯びた息を二回 吐き出した
彼は忘れ去っていた心の温度を 取り戻したのかもしれない



