社殿

髙鉾神社

 

龍門岳山頂から降りられた

タカホコヂ

髙鉾神社は元、龍門岳(904メートル)山頂にお祀りしていました。
ところが、神意によって山を降りられ、最初は龍門岳が美しく見える山口の「タカホコヂ」に祀られていましたが、しばらくして、吉野山口神社境内の東側の現在地に並んで祀られるようになった、と伝えます。

その時期は必ずしも明確ではありませんが、龍門寺が兵火で焼失したとの伝承があることと関係するのではないかといわれています。現髙鉾社の正面に文亀三年(1503)の銘がある石灯籠があり、「タカホコヂ」から山口神社境内に遷座された時に寄進されたものではないかと推測されています。龍門寺が兵火にあったと伝える永享十二年(1440)から63年後のことでした。

今から500年あまり前のことです。

檜皮葺きの社殿は二つありますが、右(東)側奥の一段小高い場所に鎮座するのが髙鉾神社です。

本殿は春日造り妻入り、屋根は檜皮葺きで向拝がついています。三方に櫞高欄があり、正面には斎主が登壇、開扉するための階段が取り付いています。 建築年度ははっきりしませんが、300から400年前の建造で何度か修繕が繰り返されているようです。

500年前の石灯篭

高鉾神社の前の古めかしい石灯籠一基があります。高さ約2.1メートル、左右に日月の窓を彫刻しています。「文亀三癸亥 治良三郎」の銘があります。「文亀三年」は西暦1503年、龍門寺が兵火にあったと伝える永享12年(1440)の63年後にあたり、髙鉾神社が岳山頂から降りられ、この地に鎮座された時に寄進されたのでは、と推測されています。
境内最古、謎を秘めた石灯籠です。

 

吉野山口神社

『延喜式』神名帳に大社として記載されています。
本殿は春日造り、妻入りの向拝付き、桁行、梁間とも約1メートル90センチ、屋根は檜皮葺き。三方に橼高欄があり、正面に階段。瑞籬は約9メートル四方。前面は透塀で鳥居が取り付いています。
髙鉾神社と山口神社の本殿はほぼ同じ規模、構造です。両社の社殿の東西の壁面には、孔雀などを描いた極彩色の壁画があります。
吉野山口神社は、中近世の一時期、天満宮と称したことがあります。「神代の天神」を祭神としたことで「菅原天神」と混同されたようですが、「間違い」とされ、明治以降、元の社名に復帰しました。

 

意賀美(おがみ)神社

吉野山口神社の左(西)側にあります。もと龍門滝の上の大地に鎮座し、竜王さんと呼ばれていましたが、明治43年に現在地に移遷されました。
かつて、日照り続きで雨乞いをするとき、「こおりとり」という行法が行われました。榊の葉を一枚づつ龍門滝の水にひたし、龍王さんに供えにいく行を33度繰返した、といいます。老人達は滝壺に静座して、一心に般若心経を読誦します。小さな鰻が滝の急流を上ると霊験が証明され、大雨に恵まれた、と伝えます。
龍を形どった珍しい牛王宝印は、龍門寺ゆかりと伝承しますが、龍王さんの雨乞いに関係する遺品だったらしいです。
9月24日、山口自治会によって例祭が行われています。

龍門寺の版木は伝わっており、現在、龍門寺別院だった菅生寺にて龍門寺の牛王宝印が頒布されています。

 

大宮寺跡

吉野山口神社前広場西側の一段低い場所に、かつて、神宮寺の大宮寺がありました。
神仏習合によって神社の別当寺として造られたもので、社僧が住み、神社の祭典にも参加していましたが、神仏分離令(廃仏毀釈)によって明治5年に廃寺となりました。
大宮寺には建長8年(1259)の銘がある古い釣鐘がありました。添上郡辰市(現奈良市)の聖宝寺のものだったといい、龍門騒動の時にはこの鐘の合図で蜂起したと伝えます。廃寺とともに佐々羅の意通寺に引き取られました。
跡地には「牛滝さん」が祀られています。かつては9月24日の意賀美神社例祭に、多数の牛を引き連れて参拝(牛滝まつり)、にぎわったものです。