吉野山口神社の正面にありますが、髙鉾・吉野山口両社の拝殿です。
かつては中門造りで、中央を通り抜けして山口社に参拝していましたが、髙鉾社が合祀されることになり、中央部を閉じて現在のような床張りに改築したようです。
桁行約14.4メートル、梁間約4.8メートル、四方に櫞が取り巻いています。屋根は瓦葺き、中央に銅板葺きの唐破風が取り付いています。
この拝殿は慶応2年(1866)8月15日(旧暦)、台風により倒れた大樹が直撃、倒壊しましたが、明治の初めに、倒壊前と「イササカモ違ワズ」同じ場所に同じ大きさ、構造で再建した、と伝えます。
倒壊前の建物の建築年代ははっきりしませんが、髙鉾社での合祀はおよそ500年前のことです。500年来の歴史を秘めた「伝承を伝える建造物」としても貴重なのです。
徳川吉宗公の石灯籠
拝殿の階段下に「髙鉾神社御宝前」「天満宮御宝殿」と刻まれた石灯籠一対が立っています。高さ約3メートルの堂々たるものです。正徳6年(1716)八代将軍徳川吉宗公から寄進されたものです。
吉宗公はもと紀州公で、和歌山から江戸まで参勤交代のときはいつも龍門大宮前の道路(伊勢街道)を利用し、大宮境内で休息をとることが多かったようです。正徳6年5月1日に将軍職に就きましたが、灯籠は「夷則上澣」(七月上旬)に奉納されたことが銘文からわかります。将軍就任直後に、道中の無事を祈って参拝してきたことに感謝をこめて奉納されたようです。龍門大宮は八代将軍がこよなく崇敬した神社といっていいようです。
境内には古い石灯籠が12基あります。






