「龍門が行く」 池田洋介様から応援メッセージをいただきました!
池田克己さんと私
「龍門が行く」 池田洋介
我々、龍門生まれやゆかりの人間にとって、ふるさと龍門は、ルーツであるとともに心のふるさとです。かっては、龍門村として吉野山の麓に存在していました。日本の歴史に残る飛鳥や吉野山に近く、山や川、自然にも恵まれた美しい里です。しかしながら、昨今の社会構造の変化、人口減少から寂れてゆくなか、この里に忽然と入って来られた柴田様ご夫妻を、我々「龍門が行く」一同、心から歓迎しています。
私どもの親族・詩人池田克己を再発見、その魅力を発信していただき、龍門の文化や自然の豊かさをも発信する、熱意あふれる活動に心から賛同し感謝でいっぱいです。
因みに、グループ/「龍門が行く」は15年位前から、龍門ゆかりの親しい人たちが集い、ウオークや語らい、飲食、勉強などやって来た親族中心のグループです。筆者の私自身は龍門村で生まれ、龍門小学校、龍門中学校と中学まで龍門で育ちました。そのころ池田克己さんは鎌倉で活躍されていたころで、ときどき、龍門に帰って来られ私の叔父たちと談笑していたのを子ども心に記憶しています。仲のいい従兄弟同士だったのでしょう。
また私の作文(たしか蜘蛛の観察を書いたもの)を克己さんに見てもらい、褒めてもらったことも思い出の一つです。今では克己さんの実像を知る数少ない一人となりました。また南京の病院で戦死した私の父の見舞いに上海から駆けつけ、間に合わなかったこと
や看護婦さんからの聞き取った内容などを記した、今も残る私の母宛ての手紙に克己さんの人柄や私の父との親密な関係が伝わります。
私の世代は、戦争や戦後のことを垣間見た世代ですが、この時代の親世代は、筆舌に尽くし難い苦労をしていることを語り継がねばならないと、戦後80年のこの年、あらためておもいます。克己さんの上海からの帰還、徹三叔父夫妻の平壌からの帰還、太郎叔父のシベリア抑留、私の父の戦死などと共に、食べるものもなく、零から始まった戦後の復興、など薄れゆく記憶を留めねばなりません。粉骨砕身、私たちを育ててくれた親世代に感謝と尊敬の念を忘れることはありません。
私は克己さんの詩の世界を十分に理解できるものではありませんが、代表作「法隆寺土塀」の中で、何度も「私はかえってきた」という言葉が出てくるのが印象的です。外地からふるさと、日本へと帰ってきた安堵感と喜びが溢れているようにおもいます。克己さんは詩人としてだけでなく、写真家、装丁家、ジャーナリストなどマルチな才能と行動をともなった方で、なにより未来派立ち上げなど人を動かす力、いわゆる「人たらし」でもあったのではと想像しています。そんな魅力と実績を、このNPOが発掘、発信いただくことに大変感謝し、楽しみにしています。私自身、老齢、非力故、あまりお役に立てませんが、「龍門が行く」メンバーと共に、できるだけの協力、応援をしたいとおもっています。今後の活躍とご発展を心から祈っています。





