池田克己について


池 田 克 己(1912-1953)

詩人として、編集者として、装幀家として、カメラマンとして、記者として。
戦時中は上海で活躍し、戦後は詩誌『日本未来派』の創始者として現代詩壇を牽引した池田克己。彼は明治45年(1912)奈良県吉野郡龍門村(現・吉野町)に生まれ、昭和28年(1953)41歳の若さでその生涯を閉じました。

戦前は大淀町・下市口、戦中は上海、戦後は鎌倉を拠点に、詩才と卓越した編集力を奮い『豚』『上海文學』『日本未来派』などの詩誌を次々に創刊した池田克己は、派閥にとらわれない、自由な表現を求める詩人たちの拠点を築き、詩壇の震源地に立ち続けました。

池田克己略年譜

1912 5月27日 奈良県吉野郡龍門村字平尾に生まれる。
1918 龍門村龍門小学校に入学。
1920 小学校の担任教師として、詩人・植村諦と出会う。
1930 吉野工業高等学校建築科卒業
1931 上京。写真技術を学ぶ。東京で植村諦と再会。
1932 牛込 薬王寺に家を借りて池田写真館を始める。
1934 非合法活動容疑をかけられ、神楽坂署に検挙・留置される。
   帰郷。下市口町で写真館を開業。
   第一詩集「芥は風に吹かれている」を出版。辰巳千世と結婚。
1935 詩句誌「風池」創刊。(隔月刊第六号まで出版)。
   妻 千世が嗜眠性脳膜炎で死去。詩誌「豚」創刊。
1937 3月藪恒子と結婚。8月恒子と結婚解消。
1938 山下友子と出奔。上京。8月 澁江周堂に招かれて九州旅行。
1939 8月15日山下友子と結婚。8月20日徴用を受け中支へ出発。
1940 第2詩集「原始」刊行。
1941 8月、上海で現地徴用解除。大陸新報社に入社、
1942 長男原誕生。
1943 上海にて上海文学研究会をつくり「上海文学」を刊行。
1944 長女道誕生。第3詩集「上海雑草原」刊行。写真集「新生中国の顔」をアルス書房から刊行。合著小説集「新風土」刊行。 草野心平と詩誌「亜細亜」創刊。第4詩集「中華民国居留」刊行。第三次大東亜文学者会議に出席。
1945 8月7日、上海を脱出、終戦から4日後の19日共産軍の襲撃
   にあい負傷。天津貨物廠跡の日僑収容所で治療後11月帰国。
1946 上京。東西出版社入社。上林猷夫・佐川英三と詩誌「花」創刊。
1947 詩誌「日本未来派」刊行。
1948 「池田克己詩集」を刊行。詩集「法隆寺土塀」刊行。
1950 3月21日、田村町の胃腸病院に入院、手術。
   7月 鎌倉市役所観光課の嘱託となる。
1952 次男森誕生。9月5日東大病院清水外科に入院。手術。
1953 1月、流行性感冒に罹り衰弱。2月13日午後2時永眠。