平行線が交わるときに|山本茂伸

右肩の丸みに拡散された光を感じたので今日は休日だと思った。
あぁいい日だと喜んだ。
光に向かって解放されていく自分がいる。
ウォシュレットの調子もいい。
しかし、トイレを出て今日は金曜日だと気づいた。
休日の先取りをしてしまった。
ところが気分はもう休日なので後戻りできない。
白く平板でそよ風が吹いている気分を無駄にはしたくない。
が仕事人の私は、慌ててダイヤリーを見る
予定通り、ほぼ真っ白で、今日もこの先も予定がない。

実は仕事がないので、えんえんと、休日なのだ。
開店休業という便利な言葉もあるが、詩人でもある私は使いたくない。
やはり休業日を設ける方が良いと思い、けじめをつける意味でも土日を定休日にした。
週休3日という流れもあるが、それでは怠惰な感じがする。
ここは社会のためにも土日だけを休みにした。

空白だけのダイヤリーはまぶしくて明るい。
グレーで美しく細い罫線が何本も引かれている。均等に平行に。
この平行線はいつか交わるのだろうかと思った。交わるとどうなるのだろう。
交わるはずのないものが交わるとどうなるのだろう。

ダイヤリーの中から8月9日という日が浮かび上がった。
80年前、すべての日常が一瞬にそして永遠に失われた日だ。
人間というものの暴力が最高度に達した日
暴力が世界を征服した日。

ダイヤリーの平行線は、意味なく暴力を受けた人の悲しみの地層の上に描かれた線だ。
暴力と絶対に交わることのない人々が、いわれのない暴力と交わった一日。
真っ白なダイヤリーの下層には、私には想像もできない人の苦しみと悲しみと悔しさの地層がある。
延々と積み重なった悲しみの地層の上に私の呑気なダイヤリーは開いている。
戦争という線が、日々の営みという線に、ゆっくりと近づいてきている気配がする。
交わることのない線を曲げるものがいる。
誰も望まないことを、望む一握りの人たちによって。

ゆっくりとダイヤリーを閉じる。光が消えて日常が戻る。
愛おしいと思った。
貧乏でもいいやと小さな声で言った。

2025年08月11日|ポエムポスト:ポエムポスト